グルコース駆動による有機エンジンを用いた血糖値制御

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 執筆者

三林 浩二(東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 教授(領域長)、センサ&IoTコンソーシアム 会長)

IDDMiconプロフィール
1985年豊橋技術科学大学大学院修士課程修了、1994年東京大学大学院博士課程修了(博士(工学))。2003年より現職。センサ医工学、バイオセンサ、キャビタスセンサ、生化学式ガスセンサ、人工臓器等の研究開発及びその生体応用研究に従事。

IDDMicon研究室のホームページ
http://www.tmd.ac.jp/i-mde/www/inst/inst-j.html
http://www.sensoriot.jp/

はじめに

生体における主なエネルギー産生は、解糖系という生体内の化学反応の経路にてブドウ糖(グルコース)から化学エネルギー(ATP:生命活動で利用されるエネルギーの貯蔵・利用にかかわる物質)を取り出すことで行われます。このグルコースの血中濃度を管理している臓器が膵臓であり、特にその働きを担っているのが「膵島」です。膵島はグルコースを認識し、その濃度に基づき、インスリン(血糖値を下げるホルモン)やグルカゴン(血糖値を上げるホルモン)といったホルモンを分泌し、血糖値を制御します。多くの糖尿病患者ではインスリン分泌が低下することから、その自己の血糖管理において、自ら血糖値を測定し必要に応じたインスリン量の注射や、プログラミングされたインスリンポンプによる皮下注入が一般に実施されます1-3)。近年では血糖値に基づいた制御により適正なインスリン量を小型機械(インスリンポンプ)で注入するコントロールシステムも開発されています。

筆者らはこれまでに、糖尿病での制御対象であるグルコースの化学エネルギーに着目し、バイオセンサ技術を用いて、グルコースの化学エネルギーを力学エネルギーに変換する(グルコースの持つ化学エネルギーを必要なインスリンを放出する力に変換する)「有機エンジン」を開発しました。この有機エンジンの機能を用いることで、溶液中のグルコース濃度に応じて自立的に薬物(インスリン)を放出し、グルコース濃度を制御(低下させ、一定の値に安定化)する、液体を駆動・制御する 「人工膵島モデル」を考案しました。

有機エンジン技術を用いた血糖値制御の基礎およびこれまでの発展経緯

上述のように、糖尿病の自己注射によるインスリン療法では血糖値の測定やインスリン投与などの不便さがあります。インスリンポンプ療法ではその煩わしさがないものの、システムが複雑化し高価で、外部からの電池や電気エネルギーの供給が必要等の課題があります。できれば、簡便かつ電源を気にせず、自立的に機能するインスリン補充療法が求められます。

筆者らはこれまでに「グルコース酸化酵素」(以下、GOD)という酵素膜にて化学エネルギーを力学エネルギーに変換することが可能な「有機エンジン」を構築しました4)。この「有機エンジン」を利用することでグルコースの濃度を感知し、薬物を放出するデバイス(人工膵島モデル)を考案しました5)
薬物放出デバイス(図1)は、GODの触媒反応による酸素消費に伴う圧力減少を利用したグルコース駆動式減圧ユニットと、それに連動する薬物放出ユニットにて構築されます。

図1 人工膵島モデルの実験装置の構成

本システムの動作性能を調べるための実験装置(閉回路系)を図1に示します。薬物容器には、グルコース分解用のインスリン擬似薬物であるグルコース脱水素酵素(glucose dehydrogenase, GDH)を充填し、閉回路にグルコース(100 mmol/l)及びNAD+を含む溶液をポンプにより循環させ、グルコース濃度の変化を測定しました。自立駆動式の薬物放出デバイスは、グルコースを認識(検出)し、グルコースが持つ化学エネルギーを機械力(圧力)へと変換し、薬物を放出することで、グルコース濃度を低濃度へと低下させ、一定の値に安定化することが可能でした。

しかしこの実験では、薬物放出デバイスの駆動には血糖値の10倍に相当するグルコース濃度(100 mmol/l)が必要でした。そこで酵素膜をGODと別の酸化酵素であるPOX(ピラノース酸化酵素)を複合化したものに変更し、減圧性能を調べたところ、エネルギー変換の効率が向上し、通常の血糖濃度に相当するグルコース溶液(10.0mmol/l)において、薬物放出デバイスの駆動に必要な性能を実現することができました6)(図2)。

図2 GOD膜とGOD+POX複合膜での減圧性能の比較

以上のように、開発した薬物放出デバイスでは、外部からのエネルギー供給や制御を必要とせず、グルコースの化学エネルギーを用いて自立的に駆動し、その濃度を低濃度に安定化することが可能でした7)。現在、性能の向上と同様に、デバイスの小型化(図3)を進めています。本デバイスでは外部エネルギーを必要とせず、酵素膜やセルは有機材料だけで構成することが可能で、将来的にはヒトの体になじみやすい有機系の人工膵島システムとして開発できると考えています。また、この新しい「生体成分からのエネルギー抽出(発生)技術」は血糖値制御のみならず、生体及び生体外にて駆動する医療機器・装置への応用も考えられます。

※NAD+:生体内で起こる様々な酸化還元反応において、電子の伝達を行う補酵素(酵素の作用に必要な物質)の一種

図3 新規な人工すい臓モデルの外観写真

国内外の研究開発の現状

持続皮下インスリン注入(Continuous Subcutaneous Insulin Infusion :CSII)療法はより厳密な血糖制御を目的に開発され、血糖値のコントロールにより、長期合併症(網膜症、腎症、神経障害)のリスクは低減されましたが、それに伴い低血糖のリスクが増大することから、近年では、皮下組織の間質液中のグルコース濃度を連続的に測定(Continuous Glucose Monitoring: CGM)し、血糖変動をリアルタイムで調べ、自動的に基礎インスリン注入を一時停止する方法(Sensor Augmented Pump: SAP療法)が開発されています。国内でも、カニューレ(管)がなくリモコンで操作できるパッチ式インスリンポンプが販売されており、海外では、人工知能により個人の血糖変動パターンを学習しつつ、高血糖・低血糖を予測して自動制御するインスリンポンプも登場し、持続的に利用が可能な体外式人工膵島が多数開発され、高機能化されています。

これら既存の装置は血糖値計測やインスリンポンプの駆動および制御では、バッテリーなどの電源を必要とします。将来においては「利用者が電源を意識しない」、例えば電源喪失時においても、自立的な利用が可能な血糖制御システムが求められます。しかし現在、このような装置の研究開発は国内外を通じて、全く行われていません。この観点において、筆者の研究室で開発を推進している「グルコース駆動による有機エンジンを用いた血糖値制御システム」は、患者の皆さんのニーズを考えた「次世代の血糖値制御」です。

今後の展望と課題

酵素を用いてグルコースの化学エネルギーを力学(機械)エネルギーに直接変換する“有機エンジン”を開発し、自立的に駆動する薬物放出デバイス(人工膵臓モデル)を構築しました。デバイスの動作特性を、グルコース溶液を循環させる閉ループ回路において調べたところ、間欠的な薬物放出が観察され、グルコース濃度の低下と安定化が確認されました。開発したシステムでは膵臓の機能のように、自立的に薬物を放出することでグルコース濃度を制御することが可能でした。今後は、血糖駆動や制御性能と共に、生体に適した有機高分子を利用することで、極めて柔軟で身体への装着性に優れた装置として開発を進めてまいります。

参考文献

1) A.Y.Y.Cheng, I. G. Fantus, Oral antihyperglycemic therapy for type 2 diabetes mellitus, CMAJ (Canadian Medical Association Journal), 2005, 172, 213-26. doi: 10.1503/cmaj.1031414.
2)B. Alberts, A. Johnson, J. Lewis, M. Raff, K. Roberts, P. Walter, “Molecular biology of the cell”, 872-873, New York: Garland Science; 2004.
3) J.A.Mayfield, RD White, Insulin Therapy for Type 2 Diabetes : Rescue, Augmentation, and Replacement of Beta-Cell Function, Am. Fam. Physician, 70, 489-500, 2004.
4)K. Mitsubayashi, T. Ohgoshi, T. Okamoto, Y. Wakabayashi, M. Kozuka, K. Miyajima, H. Saito, H. Kudo, Tonometric biosensor with a differential pressure sensor forchemo-mechanical measurement of glucose, Biosens. Bioelectron., 2009, 24: 1518–1521. 10.1016/j.bios.2008.08.014
5)R. Kato, M. Munkhjargal, D. Takahashi, T. Arakawa, H. Kudo, Kohji Mitsubayashi, An autonomous drug-release system based on chemo-mechanical energy conversion “Organic Engine” for feedback control of blood glucose, Biosens. Bioelectron., 2010, 26: 1455–1459. DOI: 10.1016/j.bios.2010.07.080
6)M. Munkhbayar, Y. Matsuura, K. Hatayama, K. Miyajima, T. Arakawa, H. Kudo, K. Mitsubayashi, Glucose-sensing and glucose-driven “organic engine” with co-immobilized enzyme membrane toward autonomous drug release systems for diabetes, Sens. Actuators B, 2013, 188: 831– 836. DOI: 10.1016/j.snb.2013.07.080
7)M. Munkhbayar, K. Hatayama, Y. Matsuura, K. Toma, T. Arakawa, K. Mitsubayashi, Glucose-driven chemo-mechanical autonomous drug-release system with multi-enzymatic amplification toward feedback control of blood glucose in diabetes, Biosens. Bioelectron., 67, 315-320, 2015. DOI: 10.1016/j.bios.2014.08.044

おすすめの書籍や文献など

  • 三林監修「酵素トランスデューサーと酵素技術展開」、シーエムシー出版、2020年
  • 三林共同監修” Chemical, Gas, and Biosensors for Internet of Things and Related Applications”, Elsevier出版, 2019年(⽶国出版社協会 学術出版賞:2020 PROSE賞(化学・物理カテゴリー)受賞
  • 三林監修「代謝センシング」、シーエムシー出版、2019年