執筆者
山川 考一(国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 関西光科学研究所 光量子科学研究部 レーザー医療応用研究グループリーダー/ ライトタッチテクノロジー株式会社 代表取締役)
プロフィール
大阪大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。 長年の最先端レーザー開発研究の知見をもとに、自らのレーザー技術を直接人々のために役立てたいと考え、ライトタッチテクノロジー株式会社を設立。
休日の過ごし方
映画、音楽鑑賞、ウォーキング
ライトタッチテクノロジーホームページ
https://www.light-tt.co.jp
はじめに
厚生労働省の調査によると、日本での糖尿病患者は約1000万人、糖尿病予備群も約1000万人と推計されています。また、国際糖尿病連盟(IDF)の調査によれば、2019年に約4.6億人だった世界の糖尿病の患者数(20〜79歳)が、2045年には7億人に増加すると予測されています。
糖尿病は大きく1型と2型に分けられます。1型糖尿病は自己免疫疾患であり、自身の免疫細胞が何らかの原因でインスリン分泌細胞を破壊してしまうことで発症します。2型糖尿病は中年以上が患者の中心で、遺伝的要因、過食、運動不足などの原因が複雑に重なって発症します。
糖尿病患者には、血糖計を使い、毎日自分で血糖値を測らなければならない人も多くいます。測定するには、指先に針を刺し、血糖計に取り付けた検査チップに血液を付着させます。患者は痛みに耐えながら、1日に4〜5回採血する必要があります。特に1型糖尿病の患者は、血糖値の測定とインスリン注射で年間約3,000回も針を刺さなければなりません。しかも使用した針と検査チップは毎回、医療廃棄物として処理する必要があるので、新しいものを購入し続けなければならないのです。
非侵襲血糖測定技術の基礎およびこれまでの発展経緯
そうした中、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構発ベンチャー、ライトタッチテクノロジー株式会社(Light Touch Technology Inc.)は、採血せずに血糖値を測定できるセンサーの試作機を開発しました。このセンサーは一定の条件のもと、非侵襲*の血糖値センサーとしては世界で初めて、国際標準化機構(ISO)が定める測定精度を満たしました。開発したセンサーは照射される中赤外レーザーに指先を当てるだけで、血中のグルコース(糖)の濃度(血糖値)が測定され、痛みも熱さも全く感じません。測定時間はわずか数秒であり、測定の結果はスマートフォンに送ることができます。
*非侵襲:針等を刺すことがなく、体への負担がないこと
国内外の研究開発の現状
赤外光(赤外線)は波長によって、近赤外光、中赤外光、遠赤外光に分類されます。ISO(International Organization for Standardization、国際標準化機構)では、0.78μ〜3μmを近赤外光、3μ〜50μmを中赤外光、50μ〜1000μmを遠赤外光と分類しています。
波長が2μm程度の近赤外レーザーを使うとグルコースの値が測れることは古くから知られており、それ以来約30年間にわたって国内外の数々の研究所や企業が非侵襲の血糖値センサー開発に挑んできましたが、実用化には至っていませんでした。近赤外レーザーでは、血中のグルコース以外の成分の値も測定されてしまい、正確な血糖値を測定できないというのが大きな理由です。
今後の展望と課題
このような背景のもと、糖尿病患者の方々の採血による苦痛をなくし、世界初の非侵襲光血糖値センサー事業を展開するため、筆者は2017年にライトタッチテクノロジーを設立しました。ライトタッチテクノロジーは中赤外線で、非常に高輝度のレーザーを新たに開発し、グルコースの値のみを測定することに成功しました。現在、装置の小型化・量産化の研究開発を進めており、厚生労働省の認可を得た後、2022年の販売を目指しています。
採血なしに血糖値を高精度で測定できる意義は大きく、検査値が数秒で分かるほか、患者や医療スタッフの感染リスクや手間を軽減できます。採血用の針や検査チップなどの医療廃棄物を出さなくてよいことも大きなメリットです。
また今回開発された血糖値センサーは、通常の健康診断では見逃されやすい「血糖値スパイク」を見つけ出すことにも役立ちます。血糖値スパイクとは食後に血糖値が急上昇するもので、放置すると血管が傷つき、動脈硬化が進みます。センサーで気軽に血糖値を測定できればこのような症状も発見しやすくなり、糖尿病予防に大きな足がかりとなります。
参考文献